愛のかたまりは、奇跡の1分半

いつからか、長時間の音楽番組が、季節ごとに

各局で放送されることが多くなり

ジャニーズのグループシャッフルやら

曲のシャッフルやら

年末のカウコンでしか見られなかった

他グループとの共演を見る機会が増えた。

 

かっこいい系、かわいい系、おふざけ系

意外な姿が見られて楽しいのだけど。

大野くん、なんだかもったいない使われ方が

多いなぁなんていつも思ってた→すまん

 

ここは聞かせ所でしょ!ってとこが

回ってこなかったり、ユニゾンがほとんどで

ほのぼのして終わったり。

でも自分から目立たないパートを選んでる気もして

勝手にモヤモヤしておりました。

 

だから、坂本くんと二人で愛のかたまりを

歌うと知ったとき手が震えてね。

遂に受けてくれたのか!最後だからでも

何でもいいよ。歌ってくれるのか…って。

 

坂本くんも、大野くんもジャニーさんに

怒られない特別枠の人(笑)

歌と踊りと、一番の基本のところを

ガッツリ抑えた舞台の人。

 

時間にして2分もなかったけど

二人のお互いを活かすハーモニーと

静かな本気のぶつかり合いが鳥肌で

こんな幸せな時間が来るなんて…って

TV見ながら泣いてたな、私。

 

普段ならいいよいいよって、あまり前に

出てこないからファンの人しかその歌声の

すごさを知らないのが歯がゆいことも多くて。

だから、え?こんなうまいの?

って声がたくさんあったことも嬉しかったし

何より、大野くんからファンのみんなへの

贈り物だった気がとてもしていて。

ほんとにうれしかったんだよねぇ(*´˘`*)

 

あの一回きりだったのが本当にもったいないけど

でも、あの奇跡のコラボが見られて今でも

ほんとによかったなって思う。

 

やっぱりあの歌声は、特別だから。

 

嵐として、大野智として

グループを続けていくと

自分のやりたいことができない。のか?

 

最近、事務所を離れていく方々を見ながら

ふと思うときがある。

 

一人で自分の好きな歌を歌いたい

お芝居だけをやりたいから

色んな理由があるんだと思うけど。

 

翔ちゃんならキャスターや司会

相葉くんはバラエティー

そんな感じでそれぞれの特性とか得意分野が

広がるような個人の仕事をしつつ

嵐としてのパフォーマンスを続けてきたから

個人の仕事で得たものをグループに

グループで得たものを個人に

そうやって広げてきたと思ってて。

 

大野くんにはもちろんアートの才能もあるけど

一番は踊りと歌だと。

踊りと歌は嵐の活動とも重なってるというか

一番の根本であり、そこが強い大野くんが

パフォーマンスを底上げしてきたと思ってる。

重なってるから、一人ではやりづらいのか

一人でやろうとは思わないのか

それは私には分からないけど。

 

みんなで揃えた歌や踊りはもちろん

嵐としてほんとにかっこいい。

 

でも、揃えなくていい

好きに踊って好きに歌って。

そしたらどんなふうになるのかなって。

1年に一回のソロ曲だけでなくて

もう少し色んな挑戦ができたら。

そんな姿を見たいって気持ちはずっとある。

 

嵐の一員でありながら

ソロのパフォーマンスもやる。

事務所を離れなくても

自分の世界でも表現できる。

何なら事務所外の人ともコラボできたり。

キンキの剛くんだけじゃなくて

嵐からもそんな人が出てきても。

っていうか、嵐だからこそ。

そんな新しい道を作る人がいても

いいのになぁ。それが大野くんだったら

めちゃくちゃかっこいいのにな。

なんて思うのです(*´˘`*)🍀

 

ただ休みたいだけで

嵐が活動休止してるわけではないこと。

今は見えてなくてもきっと

その先に何かがあると思うから☺️

 

 

 

 

 

願いと祈り

願うと祈るって、ちょっと違う気がする。

願うのは、誰かに何とかしてほしい時とか、自分ではどうにもならない事とか、そうなればいいなぁって希望を託すような時に私は使うかな…

 

祈るってのは、もう少し強くて

こうありたい!とか

絶対に叶えたいとか

お願いしますを千回分くらい?→よく分からん感覚😂

 

今、願うのは

もう一度、ステージに立つ智くんに会いたい

満員のお客さんの中でパフォーマンスしてほしい

そんな、自分の勝手なお願いばかりで💦

 

ずっと祈ってることももちろんあって。

 

自分のことは、後回し

何なら自分の運命は自分で責任持ちますくらいの人

 

ステージでメンバーやスタッフさんが

怪我なく無事にオーラスまで走りきれるように

 

舞台が最終日を迎える日まで

 

誰かの為に、誰かを守る為に

ずっとずっと祈ってばかりだった智くん

 

 

嵐は毎年、無事にドームツアーを完走し

年末の生放送ラッシュをコロナの中で無事に乗り切り

たくさんの人を笑顔にして一旦閉じた

 

今はね、たぶんものすごい数のファンの子たちが

智くんの健康や、これからの未来や、やりたいことが

自由にできる環境を見つけられることを祈ってる

 

どんな選択でも、決めたことを叶えられるように

みんなが毎日毎日祈ってると思う

 

 

智くんは、見えない大きな何かに守られてる人のような気がするけど、それでも、みんなの祈りがほんの少しでも智くんを支える力になれてたらいいなぁ🍀

 

祈りは叶う

 

そうだよね(*´˘`*)🍀

 

 

 

ショコ潤で泣いた智くんのこと

嵐が歌ってるところを見るとぎゅーっとなる為

まだまだ見るものが限られているワタクシ

それでも、ポツポツと録画の編集をやってみたり。

 

VS嵐の最終回で、智くんがショコ潤を見て泣いた話を編集がてら、もう一度見てた。

 

ドラマの内容ではなくて

めちゃくちゃ忙しい中で松潤がセリフを覚えてる姿を見ていたから、その過程を思うと泣いたという話。

 

そんなふうに、たくさんの人には届かない姿をちゃんと見ててくれて、泣いてくれるなんて。

なんて優しい人なんだと改めて思う。

 

たぶん私達が思うよりもっとタイトで時間がない中、色んな仕事を同時進行してる中で、セリフを覚えたり番組の準備をしたり、だからと言って、その姿は誰に見せるものでもなくて。

 

それぞれ個人でドラマや映画をやってきた人たちだから、その大変さもよく分かるんだろうけど、積み重ねている時間の方を見てくれているなんて、すごくうれしいだろうなと。

 

コツコツと努力を重ねる人だからこそ、そんなふうな見方ができるんだと思うし、そうやって口に出してすごいって言えることも。

 

大切なこと、ここぞというときには、ちゃんと言葉にしてくれる人なんじゃないかなぁ。

だからこそリーダーなんだろな、なんて、智くんの優しい語り口と笑顔で癒やされてしまって、結局編集は進まず、VS嵐を見返してCMをカットしただけで終わったという…

 

まぁ、ぼちぼちでええか。

一つ一つ見返しながら編集するのも。

 

 

誰かの為と自分の為に

誰もが自分の為に生きてるけど

家族や他のことの為に自分の生き方を変えたり。

自分で決めて変えた人もいれば

やらなきゃならないから、変わっちゃった人も。

自分のやりたいことだけを追っていられる人は実は少ないんだと思ってる。

それが自分にとっての幸せだという時もあるし、足枷となって辛い時もある。

それでもそれは自分の周りの小さな世界での話。

 

TVに出たり、ファンの人がいたり、自分が動くことでたくさんのスタッフさんが関わったり。

歌を歌えば音楽業界に。

ライブを開催すればコンサートスタッフさん、交通機関、ホテル、飲食、お土産、ライブに行くために服を買ったり、サロンに行ったり、グッズを作ってる工場、物流の方々、たどっていけば恐ろしくなるほどのたくさんの人によって動かされる経済。

何かをするたびに、多くの人が関わるような立場になって、その背中にはどれだけの重さを背負ってきたのかなって思うと、その気持ちは、なった人にしか分からないけど、怖いだろうなと思う。

それだけたくさんの人の人生に影響してるということを自覚しながら仕事をすることが。

 

自分のやりたい事と、求められる事の間で色んな葛藤もあるだろうし、自分の立ち位置をいつも確認するかのように、当たり前の感覚を大切にしているように見えていた。

みんなが見たい大野くんでいてくれたのは、きっとずっと前からだったし、いつからか分からないくらい前から大野くんの人生は、たくさんの人の為だったんだと思う。

 

そんな人が、明日からは自分の為に生きてみようと思いますと言った重さ💦

重すぎて重すぎて、それを言うために何年かかったのだろうとまた余計なこと考えそうになるけど。

 

自分の手の届く範囲の人を幸せにして生きてほしいと心から願ってるのに、願ってるのに。

 

それでも尚、たくさんの人をまた巻き込んで幸せにしてくれはしないかと、勝手なことばかり思ってほんますんません!!!

Beautiful World

いつも通りの毎日は、当たり前ではない。

わかってるけど、すぐに忘れてしまう。

 

温かいご飯、明るい部屋、きれいな水。

ただいまといつも通りに帰ってくる家族。

 

関東に住んでいる私の地域もかなりの揺れで

この先どうなるのかニュースを見て震えていた記憶。

 

生きていくことに必死であるような時は

エンタメは二の次。それは当たり前。

なくても生きていける。

でも、泣きそうな時に少し力をくれることもある。

 

数日後の嵐にしやがれで、5人がメッセージと歌を発信した。

あの時聞いた、何もないスタジオで歌った果てない空には、色んな思いが込められていたな…

 

こんな状況でTVなんて…って人もいるだろうけど、絶望的なニュースばかり見ていた心がほぐれたのを思い出す。

 

毎年のツアーは日程をいつもより縮小して、電気も自家発電だったり、東京ドームは、ワクワク学校というチャリティーイベントに振り替え。

狭き門が更に狭くなり、当選できなかった国立競技場でのBeautiful Worldのライブを後日、DVDで見た時。

涙が止まらなかった。

 

いつも通りをいつも以上に。

僕らはここにいるよ。

ここにいる時間だけは全部忘れて笑顔でいてね。

もう来られなくなってしまった人の為に空に向けて。

全力で。ほんとに全力で雨の中歌う姿。

ライブなんて今やるの?って声もあったと思う。

でも、今だからこそやるって決めて届けてくれた意味はとても大きかったと思う。

 

誰にでもできることじゃない。

自分が歌うことで、誰かの力になったり、誰かをちょっとだけ笑顔にしたり、そんなことができる人は少ない。

今、自分のできることはこれだと、最大限の誠意でまっすぐに届けてくれた事で救われた人はたくさんいたと思う。

私もニュースを見ることがストレスになっていても、目を閉じて嵐の歌を聞いていると、とてもほっとした。

いつもどこかで誰かの力になっているって、なんだかすごいな…。

 

大野くんは、描きかけていたちょんまげの男の子の絵がしばらく描けなくなり、それでも何か希望の絵に仕上げたくて、正面はふんどし一丁で丸裸にされた今を。裏側には無数のドットで無限に溢れる命の強さやエネルギーを。悲しい目をしているようで、実はもっと先を見て力強く立ってる。そんな特別な絵を描いて想いを届けてくれたんだったね🍀

 

 

何でもない1日。

明日がまたくること。みんなが笑っていること。

音楽を楽しめること。

生きていること。

 

 

色んなことに感謝して。

 

 

FREESTYLE2020 東京、大阪を終えて

今回の作品展は、こういうご時世ということもあり、行かない選択をした人もたくさんいらっしゃったし、本当は行きたかったのに職業柄や家族の為に泣く泣く諦めた方もいらっしゃったと思うので、そういう方々に申し訳ない気持ちもあるけれど自分の記録として残しておくのでここから先は、読んでもいいよって方だけお進み下さい🍀 まあまあ長くなってますので💦

 

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

東京六本木ヒルズティービュー

この会場で個展を行なうなんて、ちょっとビックリして。今までも他の方の作品展で何度か足を運んだけれど、見事に大野くんの空間になってた。

 

東京タワーの見えるガラス張りの空間にくるくる回る巨大グリーンヘッドと、カイトのジャケットに使われた大きな絵のモチーフ。

 

幼い時の写真、小学校の頃の作文、もらった賞状、美術の時間に描いたスプーンのデッサンなどがアクリルケースの中に。

 

今回の為に描いたジャニーさん、鬼パグ、巨大細密画をそれぞれ配置して、その周りにたくさんの抽象画や過去の作品たち。

大野庵と称した和室の空間で気分を変えたり、表現の一端で、全身白タイツで無言でパントマイムをする大野くんを6分割画面で6方向から写したものが2分ほど流れるとてもシュールな大野ワールドもあり。

関節の柔らかさや足の運び方など、もう一回見せて!って気分にさせられるのはさすがだった。

 

 

空に限りなく近い場所だった東京と対照的なのがグランフロント大阪の地下会場。

 

入口でグリーンヘッドとカイトの絵の拡大版がお迎え。

シルバーに黒のロゴ看板を抜けると、東京ではケースに入ってたゴールドマスクが箱から出ていて、隣にはカレーパン屋さんに飾ってあった茶色ベースの大きな抽象画。

そして、入口を抜けると、木箱に入ったガマドン。

東京では自由に手を伸ばしてたガマドンが箱の中からこっちを見てるのが何とも意味ありげで…

 

東京に比べて狭い大阪の会場は、壁や搬入の木箱をうまく利用して、作品の間隔は狭めに、少し点数は間引いてあるけどその分、大野くんが身近に感じられるような空間になってた。

 

ジャニーさんは2枚のランタンの絵で挟まれて、なんだか穏やかに笑ってるよう。

鬼パグは、2015年のパグ2枚で挟まれ、パグ三部作のようになっていて、前回の諸々の想いも含めてここでこうやって揃えて展示するって決めてたんだろな…と思いつつパグのキラキラのガラスみたいな目を見てたら泣きそうになった。

 

映像作品の手前には東京にはなかった、撮影時に使った塗料でペイントされたVANSのスニーカーがブラックライトで照らされて展示してあり、出口には国立競技場の客席にフィギュアを並べてるところやアラフェスのリハの写真。

いつもの見慣れた大野くんのデニムシャツとキャップ姿でステージに一人で立つ後ろ姿のショットは、その背中にたくさんの背負ってるものを見たようで、涙涙…

 

国立競技場に並べられたフィギュアは5体。

メンバーに送った絵。

メンバーが描いた大野くんの似顔絵。

嵐としての20年の集大成ということなんだと思った。

コンサートや雑誌の取材、ドラマ、映画、TVの収録。

何年も先のスケジュールがパズルのように組み込まれているような状況で、その仕事の合間に見つけた時間。見つけたというより、何かを削って作った時間で、コツコツとここまでの作品を作り続けたことがすごい。

 

最初はものづくりが楽しくてやっていたことが、2回目の個展では、見せることが前提になってしまって前のように自由に作れなくなってしまった事を話してくれてた。それでもみんなに見せてくれたのに、周りの流れに飲まれて、深く深く傷つけてしまった。

大野くんも私を含むファンのみんなも、あの時間は辛かったと思うし、なんであんなことになったのかって今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだ…

もう次はないかもって思ってたけど、嵐をお休みする前の個人の仕事として、もう一度個展をやると知った時のうれしさったらなかったな。

 

本当なら、あちこちから東京と大阪に作品を見るためにファンのみんなが集まってきて、大野くんの作品に触れて、お互いの気持ちを話したり、ご飯食べに行ったり…そんな楽しい時間になるはずだったのに、絶対に感染しない、させないって使命を背負って会場に行くという世界になってしまった。そのために、最後なのに行けない、行かない選択をした人もたくさんいた。きっと悲しかったに決まってる。

スタッフさんも、明日に繋がるように毎日毎日最善を尽くして下さったと思うし、全日程を無事に終えたことは本当に奇跡だと思う。

 

踊りと歌と共にアートも大野くんの表現の柱だ。

何もないところから、何かを生み出すにはエネルギーがいるし、自分が空っぽだとそれも難しいと思う。

これから、色んな世界を見てインプットされた事が大野くんの中で溢れ出したら、また何か創作してみたいって自然に思うかもしれないし、それは誰かに見せる為にではなくて、心から楽しめる時間であるといいなと思う。

だってFREESTYLEなんだもんね。

本人が自由な心でいてくれないとね。

 

どんなものを作ってるのか見せてってファンの声を叶えるために開催された最初の個展から、こうやって自分の年表みたいに20年間を見せてくれた今回の個展まで。

忙しくてもこれだけできること。

好きなんだったらとことんやってみること。

自分を取り戻すような時間や趣味の大切さ。

色んなことを教えてくれて本当にありがとう。

たくさん届けてくれてありがとう。

そして、願わくば…

今回、見られなかった方々に

また次がありますように!!!